最近、4歳の息子の中で「数字」がブームだ。1から20くらいまでの数字や、なぜか英語でも1から20ぐらいまで言う。そこから派生して、人の年齢を聞くという人とのコミュニケーションを楽しんでいて、それを家で思い出しては教えてくれる。
息子の数字と年齢ブームの中・・・あやしい雲行きに
我が息子ながら感心するほど、よく覚えていて、「〇〇せんせい、28さい!」「△△ちゃん、5さい!」。身近な保育園の友だちや、先生、おにいさん、おねえさんだけでなく、もちろん親、祖父母、さらに両親である私たちの友人たちまでも覚えている。(大好きなDA PUMPのメンバーの年齢も全員覚えた)
先日、年齢に関してモヤっとする出来事があった。あらかじめお伝えしておくが、年齢を聞かれたり、(無理やり聞き出そうとしたりなんてもちろん×)その年齢を言われることをいやだと思う感覚の人が一定数いるのは私も理解している。
私が女性の友人と出かけた時に、ふと「お子さん元気?」という流れから、この最近のブームの話をした。あなたの年齢も○○歳くらい、と言ってたんだと話すと、相手の女性は、とても嫌悪感をあらわに、「それ、外で大声でどこででも言うよ。やめたほうがいいよ、ほんとに。私は嫌だわ」とあきれ笑いで言われてしまった。
私「うーん。どこでも声に出すわけではないし、それは、してないな。今は数字がたのしいんだよね」
友人「え、絶対、これからどこでも大声で言うよ。ほんとにいやだよ。やめさせたほうがいいよ。親の年齢とかも大声で言うよ。ほかの人のも」
私「保育園の先生は、若いし、年齢言われても嫌っていう感覚はない年齢だと思うけど(笑)私は年齢を言われてもなんとも思わないなぁ」
友人「えー、やめさせたほうがいいよ」
私「うーん・・・まだ単純に興味を持っているだけのことだから、(大声で言っている場面を見て)教えてあげればいいんじゃないのかな。私は自分の年齢を言われても事実だし、なんとも思わないけど・・・言われるのが嫌な人がいるのはわかるけど・・・」
女性が年齢をいうことは恥ずかしいことなのか?
文字にすると、他愛もないことなんだけど、お相手が結構な嫌悪感を出していたので、「年齢を聞かれること」「年齢を言われること」がとても嫌だったんだろう。
それを言われたときに、「感覚の違う人だな」と思ったし、何度もやめさせたほうがいいと言われて、一瞬「え?」っとなった。でもよくよく考えるとまた感情が違うことに気づいた。この女性は、育った環境で培った価値観や経験してきたことから、「女性は年齢を重ねたら恥じるべき」と認識しているのではないか。
思えば、児童館勤務の時に、小学校低学年の女の子に、「せんせい、何さい?」と聞かれ、素直に「35歳」などと言うと、ひかれることがよくあった。
先生の嫌がること(女性が嫌がること)をわざと聞いているのに、すんなり答えてくる感じに、「えー、そんな年齢なのにはずかしくないの?」「ママは年齢をいうのを嫌がる」など言われることがあった。私は、堂々として答えるので、しつこく聞かれないが、交わしてその話題を避けたり、恥ずかしがったり、嫌がる人には何度も聞いて、嫌がる様を楽しんでいるようも感じた。この子が私と同じ年になったら、年を重ねることは恥ずかしいことって思うのかな。
どうして、一生懸命生きた年数の「年齢」なのに、嫌がったり、恥ずかしがったり、隠すのだろう。年を重ねた女性が、年齢を言うことを恥じるようになったのは、そういう価値観が日本の社会の中にあるからかな、と思う。
ホントに日本の女性は生きづらい。生まれながらにして、女性は結構不自由。上に書いた女性がそうなった経過も想像できる。実際、日本の男性の中に女性の価値は「年齢」ということを平気で言葉で言ってくる人もいる。悲しいことに女性の中にも、その男性たちに理解を示す人がいて、それを同じ女性である若者や子どもにその価値観を当たり前なのだと植えこもうとする。
私も、団塊世代の親に育てられた、バリバリ昭和の価値観が根付いていて、時々自分を「○○であるべき」というしがらみに縛られていることを感じる。「母になったら」服装は・・・、髪色は・・・etc...誰にも言われてないのにね。
結局、それで自分を苦しめていることに気づかないといつまでも、自由になれないんだよな。